ふぇのたす
ふぇのたす(Phenotas)は、日本の音楽グループである。ZEN MUSIC所属。
概要[編集]
2012年夏に結成された3人組の音楽グループ[2]。
ヤマモトショウはふぇのたすの楽曲、グループとして「お客さんと楽しむことが第一」という姿勢を掲げている[3][4]。
同グループは『すし2013』という会場限定デモ盤CDを出すほどメンバーが寿司好きであり[4]、それに収録されている楽曲「すしですし」は2ndミニアルバム「胸キュン’14」に収録されMVも公開されている。
特徴[編集]
ジャンルはエレクトロ・ポップ。80sニューウェーブサウンドの影響を受けており、そこにポップスのメロディーとボーカルみこの可愛い歌声で日本語で歌うことにこだわりを持っている[4]。
アイドルでも、ROCKでもない、「ふぇのたす」という新たなジャンルを切り開いていくハイパー・ウルトラ・デラックス・スーパー・デンジャラス・グループ[5]。
歴史[編集]
- 2012年、ユニバーサルミュージックの新人開発セクションGREAT HUNTINGでチーフ・プロデューサーを務める加茂啓太郎の紹介で知り合い[6]、東京都で結成される[7]。
- 2012年12月18日、下北沢GARDENにおいて、ハナエ、でんぱ組.inc、HAPPY BIRTHDAY、タルトタタンが出演した「第40回 GREAT HUNTING NIGHT」にオープニング・アクトとして出演する[8]。
- 2013年4月13日、ヤマモトショウ楽曲提供によるアイドルシンガーソングライターみきちゅ、ふぇのたす・みこによる期間限定アイドルユニットM.I.Yが最初で最後のイベントをムトウ楽器店で開催した。当日は限定CD「好きかな好きかも/さよならまでが恋愛です」を販売[9]。
- 2013年5月、ちひろ(ベース、ボーカル)が脱退し、みこ(ボーカル)、澤"sweets"ミキヒコ(デジタル・パーカッション)、ヤマモトショウ(ギター、シンセサイザー)の3人編成となる[10]。
- 2013年7月、相対性理論を発掘したオーディション・イベントのGREAT HUNTINGと、パスピエを発掘したレコード会社のCOCONOE RECORDSを通じて、世に送り出される[11]。
- 2013年7月30日、デビュー・ミニ・アルバム「2013ねん、なつ」をリリースし[12]、『ローリング・ストーン』(ローリングストーンジャパン)日本版のレビュー記事として取り上げられる[13]。
- 2014年1月、アパレルウェアブランド「空間界」とのコラボレーションアイテム「東京おしゃれタウンパーカー」の先行受注が2013年12月24日TSUTAYA O-nestで行われた初のワンマンライブにて実施され1月下旬から販売された。イラストはボーカル・みこの描き下ろしであり、その後ナタリーストアやAmazonなどで販売された[14]。
- 2014年5月14日、吉田仁の共同プロデュースによるミニ・アルバム「胸キュン'14」をリリース[15]。
- 2014年6月13日、渋谷WWWで行われた2回目のワンマンライブにて、前売り段階で初のワンマンライブチケットソールドアウトを達成。
- 2014年7月5日~25日、加藤綾佳監督による主演:森川葵の『おんなのこきらい』に出演。主題歌、劇中歌を担当し映画には彼らの楽曲が大きくフィーチャーされた[16]。
- 2014年8月13日、ふぇのたすとして初めてゲーム『太鼓の達人』に収録され、その音源は『太鼓の達人』のオリジナル・サウンドトラックとして8月13日発売された[17][18]。
- 2014年9月26日、初の試みとなる終演後に観客の満足度によって入場料を支払う“投げ銭”方式のライブを開催。この日のオープニングアクトには、みこ(ボーカル/ふぇのたす)、奥脇達也(ギター/アカシック)、森夏彦(ベース/Shiggy Jr.)、澤"sweets"ミキヒコ(ドラムス/ふぇのたす)をメンバーに迎えたこの日限定の「みこちゃんお誕生日企画バンド」が登場。なおこのバンドの作詞はみこ、そして作曲は奥脇達也が手がけた[19]。
- 2014年11月13日、ふぇのたすのサポートメンバーとして高木祥太(ベース)、rionos(シンセサイザー、コーラス)の参加が公式Twitter上で発表される。
- 2014年12月11日、ふぇのたすはこの日行われた渋谷CLUB QUATTROでのワンマンライブにてユニバーサルミュージック・ジャパン内のレーベル・ZEN MUSICから2015年3月にメジャーデビューすることを発表した[20]。
- 2015年2月25日、ふぇのたすと寺嶋由芙との不定期ユニット“ゆふぃたす”として数量限定シングル「君が笑えば恋なのです」をヴィレッジヴァンガード下北沢店より限定リリース[21]。
- 2015年3月11日、メジャーデビューミニアルバム「PS2015」をZEN MUSICよりリリース。
- 2015年3月27日、ファストファッションブランド「GU」のスペシャルウェブムービー「いい感じ231」のために楽曲「どれにしようかな[注 1]」を提供しコラボレーションした。モデルの秋元梢や、小説家・俳優の木下半太、お笑い芸人のジャルジャル、プロサーファーの湯川正人らと共にムービーにも出演した[22]。
- 2015年4月17日、1stシングル「どれにしようかな」を2015年6月3日にリリースすることを発表。後日「いい感じ」というフレーズが印象的な楽曲となっているのに対し、タイトルにそれが入っていないことに違和感を感じたヤマモトショウ本人が曲名、CDタイトルの変更を所属レコード会社のレーベルヘッドに直談判し曲名、CDタイトル共に「いい感じ!~どれにしようかな~」に変更された[23]。
- 2015年5月11日、2015年5月8日に発表された澤"sweets"ミキヒコ(デジタル・パーカッション、V-ドラムス)の訃報を受け[24]、2015年6月3日に発売を予定していた1stシングル「いい感じ!~どれにしようかな~」の発売中止を発表した。本人たちは訃報の件と曲のテーマを考えての結論と話している[25]。
- 2015年8月6日、「GREAT HUNTING NIGHT VOL.74」に2人体制として活動再開したが、再始動ライブで9月を以ての解散を発表[26]。澤を知ってもらうためにバンド継続の判断をしたが、準備を重ねるごとに3人でふぇのたすだったことを痛感したためとアナウンスされた。
- 2015年8月24日、6月にリリース予定で発売を中止していた1stシングル「いい感じ!~どれにしようかな~」をユニバーサルミュージックストアにて予約限定でリリースすることを発表した[27]。
- 2015年9月19日、新代田FEVERにてラストライブ「ふぇのたす解散ライブ~2015ねん、なつ」と「ふぇのたす解散飲み会~2015ねん、なつ」をもって解散。
- ボーカルみこは、SHE IS SUMMERというソロプロジェクトでの活動を2016年4月から2021年4月まで行っていた[28]。
川瀬智子
川瀬 智子(かわせ ともこ、本名:奥田 智子(おくだ ともこ)旧姓:川瀬、1975年2月6日 - )は、日本の歌手、ミュージシャン、作詞家。the brilliant greenのボーカリスト。Tommy february6(トミー・フェブラリー)およびTommy heavenly6(トミー・ヘヴンリー)名義でも活動。愛称は、Tommy(トミー)。
京都府京都市出身。明徳商業高等学校卒業。血液型はB型。高校生の頃に京都市内のセレクトショップでアルバイトをしていた。高校卒業後は18歳ながら店長に就任。この時に養われたファッションセンスや小物使いなどが、後のソロ活動で役立っているとしている。
1995年、20歳の頃にバンドのボーカリストとしてクラブのステージで歌っていたところ、バンドを結成の為のボーカリストを探していた松井亮と奥田俊作が川瀬の声に惚れスカウトし、the brilliant greenを結成する。
1997年9月21日、the brilliant greenのボーカルとして、シングル「Bye Bye Mr. Mug」でメジャーデビュー。2001年1月までに11作のシングルと3作のアルバムを発売する。
2001年7月25日、ソロプロジェクトTommy february6を立ち上げて、シングル「EVERYDAY AT THE BUS STOP」でデビュー。2002年2月6日にアルバム『Tommy february6』をリリースし、オリコンアルバムチャート初登場1位で2週連続1位を獲得する。
2002年4月からthe brilliant greenの活動を再開。12月までにシングル3枚とアルバム1枚をリリース。また、同年に放送された「ピロッポ」(フジテレビ)では、テーマ曲「トミーフェブラッテ、マカロン」の提供の他、声優としても出演。
2003年より、Tommy february⁶としての活動を再開するとともに、Tommy february6のダークサイドキャラクターとしてTommy heavenly6としての活動も開始。同年7月7日より、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」にて川瀬作曲のジングルが使用される[1]。同年11月22日、the brilliant greenのベーシスト、奥田俊作と結婚。2004年は主にTommy february6として活動し、2ndアルバム『Tommy airline』を発売。
2005年夏に、Tommy heavenly6としての3rdシングル「Ready?」、1stアルバム『Tommy heavenly6』を発売。
2007年4月3日、大塚愛からの紹介により「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングにゲスト出演。同年5月31日、the brilliant greenがバンド結成10周年を迎え活動を再開することを発表し、2008年2月までにシングル3枚とベスト・アルバム1枚を発売。
2009年5月31日をもって所属事務所、研音との契約を終了し活動休止。2010年1月5日、レコード会社をワーナーミュージック・ジャパン、所属事務所をナインティワンへ移籍する事を発表。同時に、2年半ぶりにthe brilliant greenの活動を再開させ、9月15日にアルバム「BLACKOUT」を発売。
2012年6月、Tommy名義で読者モデルAMOとAYAMOによるユニット「AMOYAMO」をプロデュースする事を発表。プレデビューアルバム「A☆M☆O☆Y★A★M★O」をプロデュース。同年10月発売のAMOYAMOのメジャーデビューシングル「LET'S GO OUT」の作詞・プロデュースも行った。
2013年2月6日、the brilliant green Tomoko Kawase デビュー15周年企画が始動し、第1弾としてTommy february6として8年ぶりのシングル「BE MY VALENTINE」、第2弾としてTommy february6のアルバム『TOMMY CANDY SHOP ♡ SUGAR ♡ ME』、第3弾としてTommy heavenly6のアルバム『TOMMY ♡ ICE CREAM HEAVEN ♡ FOREVER』を発売。
School Food Punishment
School Food Punishment(スクール フード パニッシュメント)は、ロック、エレクトロニカを主体とする日本の4人組バンド。2012年2月に活動休止を発表し、同年6月11日に解散した
概要[編集]
内村友美(ボーカル)を中心とした、蓮尾理之(シンセサイザー)、山崎英明(ベース)、比田井修(ドラムス)からなる男女4人組バンド[4]。
結成から2011年3月まで、バンド名の表記は各英単語の頭文字を小文字とする「school food punishment」としていたが、セカンドフェイズの始動に伴い、各頭文字が大文字の「School Food Punishment」に改めた。名前自体は、英単語の響きで音楽の世界観を表現しているため、特に深い意味はない[5]。
バンド結成の経緯[編集]
一人で弾き語りのライブをやっていた内村が最初に組んだバンドは特に目標もなくやっていたので、ライブもやらなかった。その後、そのバンドからギタリストが抜けたときにキーボードを入れようと思った内村がメンバーを募集し、蓮尾がそれに応じてバンドに加入した。ファースト・アルバムをリリースした頃に片野が脱退したため、当時よく対バンをしていたバンドの比田井がサポート・ドラマーとしてライブを手伝うようになった。そしてセカンド・ミニアルバムの制作をサポートしていた頃に誘われ、正式メンバーとなった。またメジャーデビューの一年ほど前に上田が脱退、対バン相手から引き抜かれた山崎が加わった。[6]
音楽性[編集]
エレクトロニカ、ポストロック、プログレッシブ・ロックなど様々な音楽ジャンルを独自の解釈で消化した音楽性と心象と風景とを独自の言葉で映像的に描いた歌詞を特徴とする[4]。
内村が激しいギターが入っている曲を好まないこともあってバンドとしての音の基本はギターではなくキーボードが担っており、蓮尾がリードギターという感覚。ギターは必要な時に入れればいいという考えで、いわゆるギターロックバンドとはベクトルが異なる。[7]
楽曲制作[編集]
曲作りは、基本的にまずスタジオで楽器隊(キーボード、ベース、ドラム)でセッションをするところから始める。10分から15分の間、3人があるモチーフやテーマに沿って、コードやリズムを一定で守りながら演奏するその横で、内村がその音から見える風景や感じ取ったものをノートに歌詞として書いて行く。仮の歌詞が出来上がると、その場で内村がそれをメロディに乗せて歌って基本のパターンを作る。それを各自が家に持ち帰って音作りをし、後日スタジオで合わせるという流れ。1曲丸々その方法で作るときもあれば、Aメロ、Bメロ、サビなどパートごとにやる場合もある。アレンジに関して全員が共通して大事にしていることは、皆が同じ方向へ行かないというバランス感覚。[7][8]
その後、メジャー1stアルバム制作を機に、蓮尾がほぼ作り上げたものを用意してメンバーにディレクションしたり、サビのメロディを内村ではなく山崎が書いたものを使ったり、内村の作った弾き語りワンコーラス分のデモをプロデューサーの江口亮がアレンジを仕上げたりなど、曲作りの方法は多彩になる。アレンジ面でも、メンバー4人だけで仕上げるというこだわりが減り、曲をより良く聞いてもらうためならドラムを打ち込みにしたりストリングスを入れたりすることも受け入れられるようになった。[9]
メンバー[編集]
- 内村友美(うちむら ゆみ、1983年9月6日 - )
- ボーカル・ギター・作詞担当。千葉県出身。血液型A型。
- 好きなアーティスト:椎名林檎、空気公団、Spangle call Lilli line[10]
- バンドを結成する以前は弾き語りでソロ活動を行っていた[11]。Spangle call Lilli lineの音楽に出会い、影響を受けたことにより、バンド結成に至る[11]。
- もともとJ-POPが好きで、洋楽はほとんど聴いたことがなかった。小中学生の頃は5つ上の姉の影響でスチャダラパーを、高校生の頃は椎名林檎、Cocco、鬼束ちひろなどのいわゆるシンガーソングライターの曲をよく聴いた[6]。
- バンド解散後は、活動休止中に結成したla la larksでプロデューサーの江口亮(Stereo Fabrication of Youth、MIM)やサポートギタリストの三井律郎(THE YOUTH、LOST IN TIME)とともに活動中。
- 蓮尾理之(はすお まさゆき、1983年2月7日 - )
- キーボード担当。新潟県出身。血液型B型。
- 好きなアーティスト:Melt-Banana、アット・ザ・ドライヴイン[10]
- 幼い頃からエレクトーンを習っていて、キーボードはそれからずっと続けている。小学生の時はアニメやテレビゲームの曲をコピーしていた。中学、高校生くらいから本格的に音楽を聴くようになり、それでニルヴァーナの大ファンになった。また高校時代にはまった映画『バッファロー'66』で流れてるプログレッシブ・ロックにもすごく惹かれた。高校三年くらいの時に出てきたアット・ザ・ドライヴインというバンドが、自分が好きな物が重なったような音楽をやっていたので、『これは“神”だ』と思った。[6]
- 高校生の頃、なかなか良いバンドが作れずにいたときにメンバーを募集していたschool food punishmentに出会い、自分が目指していたアバンギャルドなこととメロディもしっかりあるポップミュージックとのバランスをしっかりと取れるバンドだと思って加入した[6]。
- 解散後は他のアーティストのサポートを務めるほか、bonanzas、LAGITAGIDA、元BLEACHのミヤ率いる385(さんはちご)(2012年加入、2015年脱退)、ザ・ジェッジジョンソン(2013年加入、2016年末脱退)、SEAGULL SCREAMING KISS HER KISS HER(2014年加入)などのバンドで活動。2016年からはボーカルにAnnabelを迎えて新たにバンドsiraphを結成、ベースの山崎とともに活動中[12]。
- 山崎英明(やまさき ひであき、1974年12月4日 - )
- 比田井修(ひだい おさむ、1981年11月24日 - )
- ドラム担当。神奈川県出身。血液型B型。
- 好きなアーティスト:Phish、小谷美紗子、松崎ナオ[10]
- current of air(2008年に活動休止)のドラムと並行し、2007年加入。
- 仲の良い友達がギタリストだったことがきっかけでドラムを始めた。専門学校のときに出逢って色々教えてもらったギタリストの講師がソウル・ミュージックをすごく好きだったので、そこに自身のドラム的なルーツがある[6]。
- 現在は11台ドラムバンドDQSのメンバー。またOverTheDogs、Stereo Fabrication of Youth、緑黄色社会のサポートメンバーとしても活動中。
旧メンバー[編集]
- 上田睦(うえだ あつし)
- ベース担当。2008年脱退。
- 片野勝哉(かたの かつや)
- ドラム担当。2007年脱退。
サポートメンバー[編集]
- 椎名洋輔(しいな ようすけ)
- 名嘉真祈子(なか まきこ)
- 三井律郎(みつい りつお)
- ギター担当。THE YOUTH、LOST IN TIMEのメンバー。2011年のツアーに帯同。解散後は内村と共にla la larksで活動中。
- 山本健太(やまもと けんた)
- キーボード担当。元オトナモードのメンバーであり、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのライブでもサポートを務めたことがある。2011年のツアーに帯同。
来歴[編集]
インディーズ時代[編集]
- 2004年
- 10月、内村を中心に結成。
- 12月、初ライブを開催。主に新宿のライブハウスを中心に音楽活動を展開する。
- 2007年
- 4月、1stミニアルバム『school food is good food』でインディーズデビュー。アルバム・リリースに伴い、全国ツアーを行う。
- 9月、新宿Motionにて初のワンマンライブを行う。
- 11月、2ndミニアルバム『air feel, color swim』をリリース。
- 2008年
- 1月から3月にかけて、2度目となる全国ツアー、そしてワンマンライブを行う。その後、FM802主催のライブイベント『MINAMI WHEEL 2008』や、J-WAVE主催のライブイベント『TOKYO REAL-EYES LIVE SUPERNOVA』に出演するなど、活動の幅を広げる。
- 12月、3rdミニアルバム『Riff-rain』をタワーレコード限定で先行リリース。タワーレコードJ-Indiesウィークリーチャートにて1位を記録、1週間で完売となる[10]。デジタルダウンロードによる配信限定シングルとして先行発表された収録曲「feedback」「二人海の底」は、テレビドラマ『女子大生会計士の事件簿』の主題歌に起用される。
- 2009年
- 1月14日、『Riff-rain』を全国リリースし、3度目の全国ツアーを行う。
- 2月21日、新宿MARZにて行われたワンマンライブでは、満員の250名を動員。
- 3月18日、『JUDY AND MARY 15th Anniversary Tribute Album』に「Brand New Wave Upper Ground」のカバーで参加[13]。
メジャーデビュー[編集]
- 2009年
- 2月、ワンマンツアー「Quattro oneman tour "NEXT vol.2"」を開催。
- 5月27日、1stシングル「futuristic imagination」でEPIC RECORDS JAPANよりメジャーデビュー。同曲はテレビアニメ『東のエデン』主題歌に起用された。
- 7月上旬にフランスのパリで開催された音楽、アニメ、マンガなどの日本の最新カルチャーを紹介する世界最大級のポップカルチャー・フェスティバル『Japan Expo 2009』に出演、観客は2日間の合計で1万人を数えた[14][15]。
- 7月22日、2ndシングル「butterfly swimmer」をリリース。花王のヘルシアスパークリングのCMソングとして使用された。
- 8月7日と8日、ロック・フェス「SUMMER SONIC 09」に全くの新人ながら東京・大阪両会場に出演[14]。
- 10月7日、3rdシングル「sea-through communication」をリリース。
- 12月2日、4thシングル「light prayer」をリリース。映画『東のエデン 劇場版I』主題歌に起用される。
- 12月29日、カウントダウンフェスティバル「COUNTDOWN JAPAN#09/10|COUNTDOWN JAPAN 09/10」に出演[14]。
- 2010年
- 3月10日、初の両A面シングル(5thシングル)「future nova/after laughter」をリリース。収録曲「future nova」が3月公開の映画『東のエデン 劇場版II』のオープニングテーマに、また「after laughter」が同エンディングテーマに同時抜擢される[16]。
- 4月14日、メジャー初のフルアルバム『amp-reflection』を発表。バンド初となるオリコンチャートトップ10入りを記録。
- 5月よりアルバムの発売を記念して、初の全国ワンマンツアーとなるライブハウスツアー「school food punishment 「amp-reflection」release tour "Switch"」を全国7ヶ所で開催。
- 8月7日、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2010」に出演。
- 8月14日、「RISING SUN ROCK FESTIAVL 2010 in EZO」に出演。
- 9月22日、10月公開の筒井康隆作家生活50周年記念映画『七瀬ふたたび』のために書き下ろした映画主題歌「flashback trip syndrome -feat. Main Theme of "NANASE:The Phychic Wanderers"-」を配信限定でリリース。
セカンドフェイズ[編集]
- 2011年
- 前年のアルバム『amp-reflection』のリリースとそれに伴うツアーの終了後、「flashback trip syndrome」のリリースを除いて半年以上にわたる実質的な活動休止期間に入っていた。この間、メンバー間で今後のバンドの方向性や音楽性についての意識の統一が図られ、2ndアルバムに向けた準備が進められた[17]。
- 3月、「School Food Punishment セカンドフェイズ、スタート」を標榜し、バンドロゴを「school food punishment」から「School Food Punishment」に改めて再始動。メンバーやスタッフの間でバンドのテーマやイメージを統一し、ビジュアルやアートワークについて一貫性を持たせるために視覚的なイメージのトータルプロデュースを行う人物をヘッドに置き、新たなビジュアルイメージを構築した[18][19]。
- 5月11日、セカンドフェイズ始動後初となる6thシングル「RPG」をリリース。
- 7月13日、メジャー2ndアルバム『Prog-Roid』をリリース。
- 9月11日より全国ツアー「School Food Punishment TOUR 2011 "Prog-Roid"」を全国6ヶ所で開催。
- 2011年
- 10月、歌手・声優の坂本真綾のシングル「Buddy」に表題曲の作曲と演奏で参加。
- 12月、7thシングル「How to go」をリリース。10月13日より放送のアニメ「UN-GO」のオープニングテーマに起用される。
活動休止〜解散[編集]
- 2012年
Pay money To my Pain
Pay money To my Pain(ペイ マネー トゥー マイ ペイン)は、日本のオルタナティヴ・ロック・バンド。略称は「P.T.P.」[3]。2004年に結成し、2006年にデビュー。
楽曲制作や活動に関しては、全てメンバーによるセルフプロデュースで行われている。CD作品のスタジオ録音はアメリカカリフォルニアにあるRadio star studioにて行われた。Kを中心に、RIZEなど同世代のバンドと親交があった。
略歴[編集]
- 2004年
- 2005年
- 6月、K渡米。
- 2006年
- 2007年
- 9月12日、初のアルバム『Another day comes』を発売。
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 6月9日、3枚目のシングル「Pictures」、ライブDVD「Pictures」を同時発売。
- 2011年
- 1月26日3枚目のアルバム、「Remember the name」を発売。
- 2012年
- 10月24日、初のベストアルバム、「Breakfast」を発売。
- Kの急病により、発表済みのツアー中止となる。
- 2013年
- 1月10日、Kの急逝(2012年12月30日)を公式サイトで公表。
- 11月13日、4枚目のアルバム「gene」を発表。Kのレコーディング済みの楽曲に加え、ゲストボーカルを招いての作品。
- 12月30日、Zepp Tokyoにて「From here to somewhere」を開催。同日、正式に活動休止を発表。
- 2019年
- 2020年
- 2月2日、coldrainが主催を務めるライブイベント『BLARE FEST.2020』二日目のFIRE STAGEに出場。6年2か月ぶりのライブでLigarse、 Resurrection (feat. masato from coldrain & 葉月 from lynch.)、 Weight of my pride (feat. MAH from SiM)、 Respect for the dead man (feat. Koie & Teru from Crossfaith, NOBUYA, N∀OKI from ROTTENGRAFFTY)、 PICTURES (feat. Yosh from Survive Said The Prophet, AG from NOISEMAKER)、Voice (feat. Taka from ONE OK ROCK)、Rain、This Lifeを演奏。
メンバー[編集]
- K(ケー、1981年1月4日 - 2012年12月30日)
- PABLO(パブロ、1980年4月18日 - )
- ギター担当。兵庫県宝塚市出身。本名:澤村パブロ良明(さわむら パブロ よしあき)。父親が日本人で母親がスペイン人のハーフ。1999年にGIRAFFEのギタリストとしてデビュー。2002年1月に解散後、FAKE?や中島卓偉、LiSA等のサポートを務め、特にFAKE?についてはサポートの枠を超え貢献している。また2007年のOBLIVION DUST再結成からは2012年までサポートを勤めた。そして現在に至る。
- リンプ・ビズキットのギタリスト・オーディションでは最終選考まで残った。
- P.T.P.の他に自身がボーカルをとるPABLO BANDで活動し、Dragon Ash降谷建志のソロプロジェクトにも参加している。
- 以前はPaul Reed Smithのギターを主に使用していたが、現在はdragonflyのギターをメインで使用している。
- バンドではリーダーを務める[4]。
- T$UYO$HI(ツヨシ、1974年12月17日 - )
- ZAX(ザックス、1980年6月6日-)
元メンバー[編集]
Hi-STANDARD
Hi-STANDARD(ハイスタンダード)は、日本のパンク・ロックバンド。PIZZA OF DEATH RECORDS所属。略称はハイスタ。
10-FEETやMONGOL800、SiM、WANIMA、04 Limited Sazabys、HEY-SMITH、SR622、等を始めとした現在のメロコアバンドへの影響を与えた。Hi-STANDARD主催の野外フェスAIR JAMはバンドが野外フェスを主催するきっかけとなり、10-FEETの京都大作戦、SiMのDEAD POP FESTIVAL、04 Limited SazabysのYON FES等に受け継がれている。
メンバー[編集]
- 難波章浩(なんば あきひろ、1970年6月9日 -)
- ボーカル / ベース担当。TYÜNK、なんばあきひろ&宇宙船地球号、ULTRA BRAiN、難波章浩-AKIHIRO NAMBA-、NAMBA69
- 恒岡章(つねおか あきら、1971年6月1日 -)
- ドラムス / コーラス担当。CUBISMO GRAFICO FIVE、LOW IQ & THE BEAT BREAKER、磯部正文BAND、チャットモンチー等
- 横山健(よこやま けん、1969年10月1日 -)
- ギター / コーラス担当。BBQ CHICKENS、Ken Yokoyama
来歴[編集]
- 難波章浩、恒岡章、横山健を中心に結成。初ライブをGod's Guts・Scamp・bloodthirsty butchers・BEYONDSと高円寺20000Vで行う。
- 結成時は別にボーカリスト松本敦彦がおり4人で活動していたが脱退。松本敦彦は脱退後SLIME FISHERというバンドに加入。いくつかのバンドを渡り歩き現在も精力的に活動中。
- 6月30日、ミニアルバム『LAST OF SUNNY DAY』をリリース。
- 11月1日、アルバム『GROWING UP』をリリース。海外盤を含めると70万枚を超えるセールスを記録。
- 5月14日、アルバム『ANGRY FIST』をリリース。オリコン初登場4位を記録。
- 8月30日、初の主催フェスとなる「AIR JAM 97」を東京都・お台場レインボーステージにて開催。
- 8月22日、東京ベイサイドスクエアにて主催フェス「AIR JAM 98」を開催。
- PIZZA OF DEATH RECORDSがハウリング・ブルから独立[2]。
- 6月30日、アルバム「MAKING THE ROAD」をリリースし、国内外合わせて100万枚以上の売り上げを記録した。
- ノータイアップ、最小限のメディア露出でありながらのミリオンヒットは当時としては異例の出来事だった。
- 7月30日、「FUJI ROCK FESTIVAL 1999」に出演。
- 4月5日、シングル『Love Is A Battlefield』をリリース。オリコン初登場2位を記録。
- 8月26日、千葉マリンスタジアムにて「AIR JAM 2000」を開催。このライブを最後にHi-STANDARDは活動休止。
- 恒岡はS.P.L.、CUBISMO GRAFICO FIVEをはじめ、LOW IQ &THE BEAT BREAKERや佐藤タイジバンドなど多方面で活動。Coccoのサポートドラマーとして「ミュージックステーション」に出演。ハイスタ活動休止後に横山が結成したBBQ CHICKENSでは初期(正式ではない)メンバーとして参加していた。
- 2月、横山が「Ken Yokoyama」としてバンド活動を開始。
- 12月11日、スペースシャワーTVにて『祝15祭 スペシャプレミアムライブ15連発!Hi-STANDARD LIVE from AIR JAM 2000』が放送。4年ぶりに3人が顔を揃えてライヴを見た感想VTRが流れた。
- 難波は音楽雑誌「ROCKIN'ON JAPAN」のインタビューで、Hi-STANDARDの活動再開を示唆するも8月に「TYÜNK」「なんばあきひろ&宇宙船地球号」名義で2枚のソロ作品を発表し、翌年には「ULTRA BRAiN」を結成している。
- 5月、難波はブログ「TYUNBLOG」にてPIZZA OF DEATH RECORDSへの警告文を記載。「Hi-STANDARDの原盤権を3等分しないなら、『MAKING THE ROAD』は廃盤にすべきだ。これは金の話ではなく、作品にこめた魂の話だ。」という内容であった。最終的には訴訟にならず話し合いにより原版権やグッズ販売の分配が行われている。
- 難波と恒岡はwomb、翌年の大阪STUDIO PARTITAにてライブを行っている。
- 横山と恒岡が難波の新作のレコーディングにギターとドラムでそれぞれ参加。
- 「FUJI ROCK FESTIVAL 2010」に「Ken Yokoyama」と「難波章浩」が出演、それぞれのステージにて「STAY GOLD」を演奏する。
- 3月、難波がライヴにて9月に横浜スタジアムでのフェス開催を発表する。
- 4月26日、横山、難波、恒岡の3人がそれぞれのツイッターでほぼ同時に『9.18 ハイ・スタンダード AIR JAM。届け!!!』とつぶやき、3人揃った写真を掲載[3]。
- 5月13日、「AIR JAM 2011」の開催を正式に発表。
- 9月18日、横浜スタジアムにて「AIR JAM 2011」を開催し活動再開。3万枚のチケットに22万の応募が殺到した。
- バンドのオフィシャルサイトオープン。
- 9月15日・16日、宮城県国営みちのく杜の湖畔公園みちのく公園北地区風の草原にて「AIR JAM 2012」を開催。震災から1年半を経て念願の東北での開催となり2日間で5万人超を動員した。
- 12月23日、NHK EテレでHi-STANDARD特集「届け!」を放送。
- 7月7日、10-FEET主催のフェス・京都大作戦に「NAMBA69」と「Ken Yokoyama」が出演。ラストの10-FEETのステージのアンコールで「Stay Gold」を10-FEETがカバーしていたが、演奏中に出番を終えていた難波と横山が乱入。2人はそれぞれ楽器をNAOKIとTAKUMAから受け取り、KOUICHIのドラムにのせて「Stay Gold」の続きを生演奏した。ステージ上で全員が大はしゃぎしTAKUMAはその後号泣していた。
- 11月14日、BRAHMAN 20TH ANNIVERSARY LIVE「尽未来際」(幕張メッセ)に出演。
- 11月23日、FAT WRECKED FOR 25 YEARS(幕張メッセ)に出演。
- 12月6日、SLANG主催「POWER STOCK」(Zepp SAPPORO)に出演。
- 10月5日、16年半ぶりとなるシングル『Another Starting Line』をリリース。一切の事前告知無しでのゲリラCDリリースであったにも関わらず、オリコンシングルチャートでは1位を獲得。事前告知なしの1位は史上初の事件となった。
- 12月3日、1999年の『MAKING THE ROAD TOUR』以来17年ぶりとなる東北+新潟を回るショートツアー『GOOD JOB! RYAN TOUR 2016』もスタート予定。
- 12月7日、カバー曲で構成された最新シングル『Vintage & New, Gift Shits』のリリース[4]。
- 12月23日、福岡 ヤフオク!ドームにて「AIR JAM 2016」を開催。
- 5月7日、COMING KOBEにサプライズ出演。
- 7月13日、東京・名古屋・大阪・福岡・仙台・札幌の街頭看板にて『MAKING THE ROAD』以来18年ぶりとなるNEWアルバム『THE GIFT』の発売が突如告知される。
- 7月20日、公式アナウンスにて『THE GIFT TOUR』が発表される。ライブハウス公演に加え、Hi-STANDARD初となるアリーナ公演でのツアーの予定。
- 10月4日、アルバム『THE GIFT』発売。同日に「AIR JAM2000」のハイスタのステージをノーカット収録したライブDVD『Live at AIR JAM 2000』を事前告知無しでゲリラリリース。アルバム・DVDともにオリコンチャート1位を獲得。
- 3月〜7月 全国7都市にて写真展『TEPPEI KISHIDA × Hi-STANDARD 写真展 “SUNNY DAYS”』開催。
- 4月10日 AIR JAM 2018開催を発表[5]。
- 6月6日 スプリットCD『Ken Yokoyama vs NAMBA69』リリース。これは難波のバンド(NAMBA69)と横山のバンド(Ken Yokoyama)がそれぞれ録り下ろした楽曲3曲ずつ計6曲が1枚のCDに録音されているというもの[6]。
- 7月19日 写真集『"SUNNY DAYS" Hi-STANDARD Photographs of TEPPEI KISHIDA』発売[7]。
- 9月4日 AIR JAM 2018に先駆けて『PRE-AIR JAM SHOW 18』と題したショウを新木場STUDIO COASTにて開催[8]。サポートアクトはSHADOWS。
- 9月9日 ZOZOマリンスタジアムにてAIR JAM 2018開催。同地でのAIR JAM開催はAIR JAM2000以来18年振り。
- 9月19日 "THE GIFT EXTRA TOUR 2018"開催発表。12月に西日本を中心に6府県7公演の予定[9]。
- 11月10日 ドキュメンタリー映画『SOUNDS LIKE SHIT : the story of Hi-STANDARD』公開[10]
- 2022年3月現在、最後にライブが行われた年である。2019年以降Hi-STANDARDとしてのライブは行われず、再び各々ソロで活動している。ただし活動休止は発表していない。
- 4月22日 ドキュメンタリー映画『SOUNDS LIKE SHIT : the story of Hi-STANDARD』DVDを発売と同時にサブスクリプションサービスにて全音源の配信を開始。またサブスクリプションサービスのみで聴けるライブ音源、「Live at YOKOHAMA ARENA 20181222」をサプライズ配信。Spotifyのバイラルチャートでは「Stay Gold」が1位を獲得し、同チャートではトップ10には4曲がランクイン、50位以内に14曲がランクインするなどバイラルチャートを席巻。
GOING STEADY
GOING STEADY(ゴーイング・ステディ)は、インディーズで活動していた日本の4人組パンク・ロックバンドである。略称はゴイステ。2003年に解散した。レーベルは当初UKプロジェクト傘下のLibra records、2002年12月からはUKプロジェクト傘下に設立した自身のレーベル「初恋妄℃学園」(はつこいモードがくえん)に所属した[2]。
メンバー[編集]
- ミネタカズノブ(峯田和伸、1977年12月10日 - ) - ボーカル、ギター、シンセサイザー担当。山形県東村山郡山辺町出身。
- アサイタケオ(浅井威雄、1976年4月14日 - ) - ギター、コーラス担当。愛知県出身。
- アビコシンヤ(安孫子真哉、1978年9月17日 - )- ベース、鉄琴担当。山形県寒河江市出身。
- ムライマモル(村井守、1978年1月15日 - )- ドラム、叫び担当。山形県山形市出身。
経歴[編集]
1996年に母体となるバンドを結成。
バンド名はメンバーがリスペクトするパンクバンド、バズコックスのベスト盤『SINGLES GOING STEADY』に由来。
1997年夏、アビコシンヤ加入。10月、高円寺GEARにて初ライブ。
1998年夏、バンドにとって初のデモテープを製作。当時、TV- FREAK RECORDSの プロデューサーをしていたYOUNG PUNCH福井の目にとまりVA「TV-FREAK A GO GO2」に参加。時期を同じくしてムライマモル加入。それまでドラムを担当していたアサイがギターを弾くようになる。
1999年1月におこなわれた東京ー名古屋ー大阪でのTV-FREAK NIGHTにトップバッターとして出演しすべての会場で1000人ものオーディエンスに強力な印象を与える。春、YOUNG PUNCH “Baby world TOUR”に全21 ケ所同行。バンド自身初の全国TOURとなった。このTOURによりGOING STEADYの名前は全国のパンク/スカ・パンクファンに知られるようになった。6月25日、初の単独音源、1Stシングル「YOU&I」発売。たった1ヵ月で10,000枚を超すヒットとなり大きな話題になった。夏あたりから急激にライブの本数が増え、多いときには月に10本以上をこなしていた。7月6日、渋谷GIG-ANTICにてテラダメグミ主催のイベント「D.H.B☆Vol.01」に出演。共演はDASH BOARD、U CAN'T SAY NO!、Borstal Lounge、アルケミスト。8月28日、奈良県生駒山にて行われたFM802主催のフリーイベントにSNAILRAMPらと出演。GOING STEADYがステージに登場し一曲目を始めた瞬間に押しかけたオーディエンスにより柵が倒れ人が将棋倒しになり、イベントは一時中断となった。幸い軽いケガ人だけですんでのだが重苦しい雰囲気のなか演奏を再開したGOING STEADYのあまりにも熱いライブに関西のオーディエンスはその場でしゃがみながら彼等のライブに熱狂していた。10月5日、渋谷GIG-ANTICにてテラダメグミ主催のイベント「D.H.B☆Vol.02」に出演。共演はXARTS、DASH BOARD、Cream Cheese Cookie、step by step。11月に1stアルバム「BOYS&GIRLS」リリース。
2000年1月、アルバムレコ発TOUR(東名阪クアトロ)を行う(全SOLD OUT)。2月1日、渋谷GIG-ANTICにてテラダメグミ主催のイベント「D.H.B☆Vol.02」に出演。共演はBEAT CRUSADERS、MARSH FIELDS、SIDE GORI、U CAN'T SAY NO!。3月、初の全国単独 TOUR“YOUTH ATTACK ”を行う(大半がSOLD OUT)。7月、“that’s summer feeling 2000”と題した全17カ所のサマーツアーを行う。夏、イベント「長崎スカイジャンボリー」(w/KEMURI,SNAILRAMP etc...)、ライジングサンロックフェス(札幌)に出演。8月、渾身のシングル「星に願いを」を発売。tvkの番組「優香のMUSIC PREMIUM」に出演し、ミネタが優香にシンセサイザーを教えた。
2001年3月30日からツアー「アホンダラ珍道中.春」を開始。4月27日、限定シングル「東京少年」を発売。「アホンダラ珍道中.春」の東京編として、5月18日、東京代々木公園野外ステージにて「東京初期衝動」と題した野外フリーライブを開催。マグネットコーティング、LINKをゲストに迎えた。約5000人以上のオーディエンスがつめかけた。7月、待望の2ndアルバム「さくらの唄」をリリース。レコ発(東名阪ツアー/大阪ベイサイドジェニー/名古屋ダイアモンドホール/渋谷 ONAIR EAST 全公演SOLD OUT) を行いそのまま全国31ヶ所(全ヶ所SOLD OUT)に及ぶ「全日本初期衝動2001」を8月から敢行。夏のイベントにも出演(四国モンスターバッシュ、仙台アラバキロックフェス、神戸ラッシュボール2001)「全日本初期衝動TOUR」FINAL(赤坂BLITZ/ZEPP大阪 /名古屋ダイアモンドホール)にて大盛況のうちに終わる(全公演SOLD OUT)。
2002年3月、ガールズ4人組バンドHOLiDAYS とのSPLIT CDを発売。それに伴うレコ発東名阪クアトロTOUR(全SOLD OUT)を行う。2002年4月、 GREEN DAY(USA)のJAPANツアーに全国5ヶ所MONGOL800と参加。2002年6月、JAPAN CIRCUIT(赤坂BLITZ)にエレファントカシマシらと出演。シングル「童貞ソー・ヤング」をリリース。インディーズながらオリコン3位を記録。同年夏の大型ロックフェスにも積極的に出演 (FUJI ROCK FES02、RISING SUN ROCKFES02、ロックロックこんにちは!in仙台 他)。8月14日にはお笑いの”カラテカ”との共同企画「童貞ワールドカップ」を下北沢タウンホールにて開催。ガリットチュウ、デッカチャン、ROCKET Kが出演。司会はイノマー。ライブ後は新宿LOFT PLUS ONEにて祝賀会と称して深夜12時から朝の5時までトークイベントを行った。10月に初の自主企画「初恋アンドロメダ(ゲスト:YO-KING、GOING UNDER GROUND、LINK)」を川崎クラブチッタにて行う(即ソールドアウト)。12月、自分達の活動をより明確にさせるため自身のレーベル「初恋妄℃学園」を設立しシングル「若者たち/夜王子と月の姫」をリリース。 完全ノンプロモーションながらオリコン初登場5位を記録。
2003年1月15日、全国ツアースタート直前に突然解散を発表した。GOING STEADYにとって最後の音源「青春時代」を4月9日にリリース。また、公式記録映像作品「君と僕とBEEの BEAT★戦争」を4月23日にリリースした。
2000年代初頭の青春パンクブームの火付け役の一つのバンドであった。
解散後、峯田、安孫子、村井は共に銀杏BOYZに参加し、浅井はNIAを結成している。初恋妄℃学園は銀杏BOYZに引き継がれている。
ディスコグラフィ[編集]
シングル[編集]
- You & I(1999年)
- 星に願いを(2000年)
- 東京少年(2001年)
- HOLiDAYS & GOING STEADY(2002年)
- 童貞ソー・ヤング(2002年)
- 若者たち/夜王子と月の姫(2002年)
- 青春時代(2003年)
スタジオ・アルバム[編集]
- BOYS&GIRLS(1999年)
- さくらの唄(2001年)
オムニバス[編集]
- TV-FREAK A GO GO!#2.0(1998年)
- GOING STEADY(BOYS&GIRLS収録とは別Version)
- Forever young(BOYS&GIRLS収録とは別Version)
- TV-FREAK NIGHT SAMPLER CD(1999年)
- UNIVERSAL(BOYS&GIRLS収録とは別Version)
- SMALL CIRCLE OF ROCK(2000年4月10日)
- GO FOR IT(さくらの唄収録とは別Version)
- BUMMED BROS(2000年10月20日)
- STREET ROCK FILE THE BEST(2003年6月18日)
- Less Than TV LOVE SONG COMPILATION 友達以上 恋人未満 テレビ以下(2003年)
- 夜王子と月の姫vs.the world(夜王子と月の姫のアコースティックギターバージョン)
映像作品[編集]
- TV-FREAK NIGHT(オムニバスのライブ映像作品でVHSでのみ)
- UNIVERSAL
- MY SOULFUL HEARTBEART MAKES ME SING MY SOUL MUSIC
- 君と僕とBEEの★BEAT戦争 VHS(初回限定),DVD(初回限定&通常パッケージ)(2003年4月23日)監督:手塚一紀 & ミネタカズノブ ,
脚注[編集]
- ^ a b “GOING STEADY(ゴーイング・ステディ)の情報まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2021年12月19日閲覧。
- ^ 新レーベル『初恋妄℃学園』(はつこいモードがくえん)って?
ELLEGARDEN
ELLEGARDEN(エルレガーデン、略称:エルレ)は、日本のロックバンド。レーベルはDynamord Label、事務所はGROWING UP。
メンバー[編集]
- 細美 武士(ほそみ たけし、1973年2月22日(49歳) - [2])
- 生形 真一(うぶかた しんいち、1976年9月30日(45歳) - [要出典])
- リードギターとコーラスを担当[3]。ELLEGARDENのリーダー。
- バンドの活動休止後の2008年からNothing's Carved In Stoneのギタリストとしても活動[4]。
- グリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングのようなギタリストをもっと評価するべきだと語ったことがある[5]。
- お酒がほとんど飲めない。
- 高田 雄一(たかだ ゆういち、1976年7月23日(45歳) - [要出典])
- 高橋 宏貴(たかはし ひろたか、1974年10月29日(47歳) - [要出典])
概要[編集]
細美武士(Vo,G)、生形真一(G)、高田雄一(B)、高橋宏貴(Dr)の4人からなるロックバンド[12]。1998年12月末に千葉県で結成[12]。2001年にアルバム『ELLEGARDEN』で全国デビュー。5枚のスタジオ・アルバムをリリースし、2006年11月発売のアルバム『ELEVEN FIRE CRACKERS』はインディーズリリースながらオリコンチャート初登場1位を記録、2007年3月には幕張メッセでのワンマンライブを成功させる[13]。作品制作においてメンバー間にモチベーションの差が出てきたことを理由に、2008年より活動を休止[13]。2018年5月10日、約10年ぶりとなる活動再開を発表[12]。
バンド名の由来[編集]
高橋は1998年12月31日に開催されるライブチケットを印刷する際、どこにもない個性的なバンド名を付したいと考え、昭文社発行の「漢字用語辞典・外来語辞典」をめくり、ふさわしい言葉を探した[14]。そして高橋は、「ELLE」という単語に知的な響きを、「GARDEN」という単語に馬鹿馬鹿しさを感じ、これらを組み合わせてバンド名とした[注 1]。
メディア出演[編集]
バンドとしての地上波テレビへの出演は一度も行っておらず、フロントマンの細美武士も地上波音楽番組で歌ったことは一度もない。
ただし、生形は自身のバンド「Nothing's Carved In Stone」での出演や、椎名林檎、吉井和哉のサポートギターとしての出演経験がある。特に2014年には椎名林檎が「NIPPON」をテレビで披露する際のサポートギター(レコーディングでも演奏)として、「ミュージックステーション」や「ミュージックステーションスーパーライブ」、「第65回NHK紅白歌合戦」への出演を果たしている。
高田はアイドルファンとして「有吉ジャポン」と「有吉反省会」に出演している。
アルバム名[編集]
一部例外を除き、各アルバム名には収録曲の歌詞の一部が使われている。
- DON'T TRUST ANYONE BUT US
- 先行の2ndシングル「指輪」のカップリング曲と同名。ただし、同曲は本作には収録されていない。
- My Own Destruction
- 収録曲「Jamie」の歌詞の一部。
- BRING YOUR BOARD!!
- 収録曲「Surfrider Association」の歌詞の一部。ただし、曲中では「bring my board」。
- Pepperoni Quattro
- 収録曲「Pizza Man」の歌詞の一部。
- RIOT ON THE GRILL
- 収録曲「BBQ Riot Song」の歌詞の一部。
- ELEVEN FIRE CRACKERS
- 収録が計11曲であることと、収録曲「Fire Cracker」の曲名より。
逸話[編集]
- フランスのファッションブランドである「ELLE」に、商標権の侵害として告訴された。2007年5月16日、東京地裁はこれらの訴えを認め、不正競争防止法違反として該当するELLEGARDENのグッズなどの販売を一部差し止める判決を下した[15]。2008年3月19日、東京高裁は上記訴訟の控訴審において「ELLEGARDEN」を「ELLE」と「GARDEN」の二段に分けて表記したロゴについて、不正競争防止法に違反するとして使用差止請求を認め、その余の請求を棄却した[14]。
- 2006年12月21日、福岡ドラムロゴスで対バンツアーをしていたALLiSTERと一夜かぎりの合同バンド「DEATH BY FONDUE」を結成した。名前の由来はツアー中にチーズフォンデュを食べた翌日にALLiSTERのドラマー、マイク・レヴェランツがノロウイルスに感染したことから来ている[16]。2019年3月に行われたALLiSTERの新木場STUDIO COAST公演のオープニングアクトにELLEGARDENが出演した際に、ALLiSTERのアンコールで再度結成された。
- スペースシャワーTV内番組「爆音アトモス」で、細美がthe pillowsの山中さわおと対談した際、「今度対バンした時、これ着て(その時着用していた全身黒タイツ)アンコールで『Funny Bunny』をやろう」という約束をし、2007年10月22日、Zepp Nagoya公演にて実現。
- アルバム『My Own Destruction』収録の「右手」は、矢野顕子によって各ライヴやアルバム『音楽堂』などでカヴァーされている。
経歴[編集]
1998年大晦日の0時にELLEGARDEN結成[3][17]。
2000年5月、自主制作ミニアルバム『Stupid』を発売。9月27日、ライブハウス、Shibuya eggmanにてワンマンライブを開催[17]。
2001年4月1日 - 5月13日、初のライブツアー「みんなでYou Bitch!!!」を開催。5月23日、1stミニアルバム『ELLEGARDEN』でインディーズデビュー[3][17]。10月12日、1stシングル「Bare Foot」を発売。
2002年2月20日、2ndシングル「指輪」を発売。4月3日、1stスタジオ・アルバム『DON'T TRUST ANYONE BUT US』を発売。10月16日、2ndミニアルバム『My Own Destruction』を発売。
2003年7月2日、2ndスタジオ・アルバム『BRING YOUR BOARD!!』を発売。1stライブDVD『MY OWN DESTRUCTION TOUR BOOTLEG』を発売。11月12日、3rdシングル「ジターバグ」を発売。
2004年5月26日、3rdスタジオ・アルバム『Pepperoni Quattro』を発売。2ndライブDVD『BRING YOUR BOARD!! TOUR BOOTLEG Ⅱ』を発売。11月3日、4thシングル「Missing」を発売。
2005年2月26日、さいたまスーパーアリーナにて、カナダのロックバンドSUM 41主催のライブツアー「SUM 41 Japan Tour 2005」にオープニングアクトとして出演[17]。4月20日、4thスタジオ・アルバム『RIOT ON THE GRILL』を発売。3rdライブDVD『Bad For Education TOUR LAST BOOTLEG』を発売。11月、5thアルバム『ELEVEN FIRE CRACKERS』をリリース。オリコンのアルバム・ウィークリーランキングで初の首位を獲得[17]。12月7日、5thシングル「Space Sonic」を発売。
2006年4月15日、アメリカ合衆国にて『RIOT ON THE GRILL』のアメリカ盤を発売[18]。3月18日、アメリカ合衆国のテキサス州オースティンのAustin Convention Centerにて、ロックフェス「SXSW 2006 Music Festival」に出演[18]。3月20日 - 3月27日、アメリカ合衆国のニューヨーク、ボストン、フィラデルフィア、シカゴ、デンバー、シアトル、ポートランドを回るライブツアー「ジャパン・ナイト USツアー2006」に出演[18]。8月9日、6thシングル「Salamander」と4thライブDVD『Doggy Bags』を発売。10月12日から約半年をかけて全国ライブツアー「ELLEGARDEN ELEVEN FIRE CRACKERS TOUR 06-07」を開催。最終日である3月24日は千葉県の国際展示場MAKUHARI MESSE <展示場ホール9,10,11>にて行われ、ツアー全体で3万人を動員した[19]。11月8日、5thスタジオ・アルバム『ELEVEN FIRE CRACKERS』を発売し、発売初週で21.6万枚を売り上げ、オリコンのアルバムウィークリーランキングで初の首位を獲得した[20]。
2007年6月1日、ZeppOsakaにてThe Birthdayと対バンイベントである「SPRING un/desca? ver.69」を開催[19]。10月24日、5thライブDVD『ELEVEN FIRE CRACKERS TOUR 06-07 〜AFTER PARTY』を発売。
2008年5月2日、オフィシャルサイトにて活動休止を発表[21]。新アルバム制作におけるメンバー間のモチベーションの違いが要因の一つと発表された(当時すでに雑誌に制作・レコーディングの取材が行われていた)。7月2日、初のベスト・アルバム『ELLEGARDEN BEST 1999-2008』を発売。そして、9月7日、STUDIO COASTでのラストライブをもって活動を休止し、その様子を収めた6thライブDVD『2008.09.07. STUDIO COAST』が2009年4月8日にリリースされた[22]。
2016年、「骸骨祭り」にて細美がMONOEYES、生形がNothing's Carved In Stone、高田、高橋がMEANINGとして同日に出演した。
2018年5月10日、10年振りの復活をオフィシャルサイトにて発表。それに伴いライブツアー『ELLEGARDEN THE BOYS ARE BACK IN TOWN TOUR 2018』を開催[23]。
2018年の復活以降は、フェスなどのイベントや対バンライブなどへの出演を主に活動している。また、2021年11月現在ELLEGARDENとしてのワンマンライブ、新曲発表は行われていない。
2019年、FUJI ROCK FESTIVAL'19などいくつかのイベント・フェスに出演。秋には盟友ASIAN KUNG-FU GENERATION、ストレイテナーとともに「NANA-IRO ELECTRIC TOUR 2019」を開催。また、高田雄一が「有吉ジャポン」に単独で出演するなど、活躍の幅を広げる。
2020年8月5日、LIVE Blu-ray&DVD「NANA-IRO ELECTRIC TOUR 2019」をASIAN KUNG-FU GENERATION、ストレイテナーと合同でリリース。ELLEGARDENとしては活動再開後初の作品リリースとなった。
2020年8月、新型コロナウイルス感染拡大により、年内出演のライブがすべて中止となったことにより、初となるYouTube生配信を行った。猪苗代湖からの生中継で無観客アコースティックライブを開催した。
2021年、高田が有吉反省会に出演。
2021年12月、10-FEET、マキシマム ザ ホルモンとともに対バンツアーを開催。
2022年2月より16年ぶりの新アルバムの制作を開始予定[24]。
2022年2月17日、細美が単身ロサンゼルスへ渡米。5月上旬までELLEGARDENのアルバム制作のための作曲作業を行うことを報告。
2022年5月10日、細美が帰国を報告。